子どもが50人。子孫は1万人?中国の絶倫伝説

中国の紀元前に存在していたという伝説の絶倫男の紹介をしましょう。子は50人以上、孫はなんと120人以上、子孫にいたっては、何千人、何万人規模!中国史でも世界史でも群を抜いた精力で自らの種を遺した、驚くべき種馬男。その名は劉勝。彼の話を少しだけお話しましょう。
あの有名人も、この人の子孫?
「私は、前漢の景帝の第8子、中山靖王劉勝の末裔、漢王朝に連なる人間である」

このようなセリフ、もしかしたらご存知の人もいらっしゃるかもしれません。歴史好きにはおなじみの、三国志演義。その主人公である劉備玄徳の最初の名乗りです。劉備の生きた年代は、延熹4年(161年)〜章武3年4月24日(223年6月10日)まで。劉勝は、その更に約300年前の人(紀元前113年没)。こう聞くと、その時代の古さに驚いてしまいます。

さすが、中国4000年の歴史だと感心してしまいますが、この劉勝の末裔だと劉備は名乗り、その当時の中国の王朝、後漢の正統なる後継者だと主張しています。三国志正史では別の人物、曹操孟徳に主人公を明け渡しているものの、劉備の仁愛にあふれる人間らしい性格は広く庶民に受け入れられています。日本にも広まった三国志演義では、劉備は主人公としてあつかわれています。

では、その劉備の祖先である劉勝という人物は、どんな人だったのでしょう。
実はあまり話が残っていない
この劉勝という人物、実は逸話があまり残っていないのです。一番有名な逸話が、子どもが120人いた劉備の祖先だというほどの人物で、どんな人物だったか、あまりうかがい知れません。ただ、酒が好きで女好き、淫色に耽ったと言われています。

ですが、血統的には大変高貴な人物で、前漢の皇族・諸侯王であり、第6代皇帝景帝の第8子。同母兄に趙の敬粛王・劉彭祖がいます。武帝の異母兄に当たる人物です。異母弟の武帝という人は、繁栄をもたらしたと共に悪政をおこなった面もある、英雄でありながらも傲慢な性格でしたが、中国の最盛期のひとつを担った人物でもありました。

高貴な人物である、その証拠があります。劉勝の墓、河北省満城県にある『満城漢墓』から出土した彼の遺骸には『金縷玉衣』という、ヒスイの玉片を金糸で綴った、高貴な身分の人物がまとう服を着せられていたそうです。色好みの人物でしたが、人民には愛されていたのかもしれません。いずれにせよ、自分の血統を数多く残さないことには子孫に英雄が生まれることもありません。高貴な血筋の男性・女性には多産であることが求められたのもそのあたりの事情なのでしょうか。現代に生きる男性諸氏も、少子高齢化の流れに逆らって自らの血統を残すために、バイアグラの助けを借りてでも子作りに励んでみてはいかがでしょう?国内では2014年の5~6月くらいにバイアグラの特許が切れてジェネリックバイアグラが登場するとの噂です。もし登場すれば健康保険の対象外であるため高額だったバイアグラが少しは安くなるのではないでしょうか?最近はED専門クリニックもあちこちに出来ていますから、まずは興味本位でものぞいてみると良いかもしれませんよ。
日本国内におけるバイアグラジェネリックの動向について